石 川 啄 木いしかわたくぼく


石川啄木(いしかわたくぼく)は、明治19年に現在の玉山村に生まれました。盛岡中学校(現在の県立盛岡第一高等学校)時代、後のアイヌ学者 金田一京助の影響で文学にめざめますが、カンニング行為で処分をうけたことを契機に中退して上京。処女詩集「あこがれ」を出版します。帰郷後、母校の代用教員をつとめた後、北海道各地で新聞記者生活を送りました。貧窮をきわめながらも、文学への情熱はおさえがたく、一人上京。後に家族も呼び寄せ、歌集「一握の砂」を発表し歌人としての地位を確立しましたが、病のため26歳で亡くなりました。一首三行書きで庶民生活の哀歓を率直に詠んだ歌は啄木調と呼ばれています。没後歌集「悲しき玩具」も出版され、その郷愁を誘う歌は多くの人に親しまれ、望郷と漂白の天才詩人として知られています。盛岡の街のあちらこちらに、啄木ゆかりの地があり、文学碑や彫刻がちりばめられています。なかでも街の中央を流れる中津川のほとりの 岩手公園は不来方(こずかた)城跡とも呼ばれ、若き日の啄木はこの城跡 をこよなく愛しました。時に授業を抜け出しては城跡の草に寝転び、文学書や哲学書を読みふけっては、数々の優れた歌をのこしました。青春時代と、妻節子との 新婚生活を過ごした盛岡は、短い生涯のなかで、もっとも華やいだ時期だったのかもしれません。

【参考】石川啄木の「啄」は本来「」 ですが、当サイトでは「」と表示しています。ご了承ください。
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