さんさ踊り

さんさ踊りの歴史
さんさ踊り1 さんさ踊り2

夏空高く響き渡る太鼓の音に合わせ、軽快なテンポで群舞するさんさ踊りは、 いろいろな地域で踊られ、市民に古くから親しまれてきた盆踊りで、 毎年8月に開催される 盛岡さんさ踊りは、 盛岡の夏を代表するお祭りとなっています。 その起源をさかのぼれば、日蓮上人が伝えたもの、 あるいはどこかの寺の念仏僧が教えたなどと諸説がありますが、中でも最も広い地域に伝えられているのは、 「鬼の手形」 で知られる盛岡市名須川町にある三ツ石神社の三ツ石伝説です。
「さんさ踊り」という呼び方は、天明年間(1780年ごろ)、 江戸時代の民俗学者である菅江真澄(すがえますみ)の『鄙廼一曲(ひなのひとふし)』 に初めて見られ、この頃すでに盛岡南部地方の盆踊りがさんさ踊りと呼ばれるようになったと思われます。

さんさ踊りの、今に伝わる基本となる踊りの様式は、南部手踊りといわれる独特の手振りを持つもので、 近世初期、城下町盛岡が形成される時期にほぼ形づくられたと考えられます。 最初は一拍子、二拍子、五拍子といわれるテンポの緩い単調な手振りの踊りでしたが、 その後新たにテンポの速い甚句(じんく)踊りも加わり、 藩政時代の文化振興とあいまって広く普及してきたようです。

盛岡周辺に伝わるさんさ踊りは、慣習的に定まった場所(寺の境内など) に老若男女が集まって踊る場所固定型から、 花笠をつけた踊りの一団が地域の家を回って供養をする家回り型へ、 さらに各地域の踊り組が盛岡の中心市街地まで出て、 商家などの前で踊って金品を乞う町流し型へと移行していきました。 踊る場所の変化につれて、踊りの芸能化がすすみ、 御霊供養という宗教的な意味合いは薄れ、 見て楽しむという娯楽性が高い町流し移動型が主流となっていったと思われます。




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