村上 昭夫

村上昭夫 プロフィール
村上昭夫・むらかみあきお(1927-1968)

岩手県大東町生まれ。岩手中学校(現岩手高校)卒。 1950年岩手医大サナトリウム入院。 1954年岩手県詩人クラブ結成会員。 1959年詩誌「La」の会入会、『動物哀歌』として作品発表。 1967年土井晩翠賞、1968年H氏賞受賞。

村上昭夫は岩手中学校(現岩手高校)を1945年3月卒業後、 直ちに満州国(中国東北部)ハルピン省官吏となりますが、8月に終戦、 ソ連での抑留生活を経て帰国。 1947年、盛岡郵便局に勤務しますが、1950年結核発病、 1955年には病のため退職を余儀なくされました。 村上の創作活動は、岩手サナトリウムでの俳句に始まり、やがて詩に転じます。 療養のため入退院を繰り返し、闘病生活は1968年41歳でなくなるまで続きました。 1951年、療友高橋昭八郎の紹介で詩誌『首輪』の同人となり、同誌に作品を発表。 1954年、岩手県詩人クラブが結成されるやその会員となり、 この年春、岩手日報学芸欄に設けられた「日報詩壇」に投稿をはじめ、 ここで発見された村上は選者の村野四郎を生涯の師と仰ぎました。

1959年盛岡に詩誌「La」の会が誕生。 連作『動物哀歌』は順次この機関誌に発表。 村上昭夫の生前唯一の詩集『動物哀歌』は1967年「La」の会から出版され、 土井晩翠賞、日本現代詩人会H氏賞を受賞。 村野四郎は 「いったい、これらの驚くべき作品は、いつ、 いかなるところで地上に露わにされたのであろうか。 これまでずいぶん多くの複雑な現代詩を読んできたけれども、 これほど単一的に透明な、深く悲しく、しかも破壊力をもつ詩を読んだことがない。 これほど力づよい虚の世界を目撃することがなかった。」と、序文を寄せています。 死と隣合って静かな慟哭をもってうたわれた詩は今も読み継がれ、 盛岡市立図書館の前には詩碑がたっています。




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