プロフィール |
本名、佐一(さいち)。
大正12年から盛岡中学校交友会雑誌に作品を載せ、大正14年2月(当時4年生)
宮沢賢治と知り合います。
賢治の『春と修羅』を中学生ながらしっかり読んで岩手詩人協会入りを勧め、その交友は賢治が亡くなるまで続きました。
同年、草野心平の『銅鑼』が発刊され、佐一の詩は第8号から掲載されました。
盛岡中学卒業後、東京外国語大学ロシア語科に進みますが、病気のため退学、帰郷して療養生活に入ります。 |