野村 胡堂

野村胡堂 プロフィール
野村胡堂・のむらこどう(1882-1963)

岩手県紫波郡大巻村(現紫波町)生まれ。 盛岡中学卒業、東京帝国大学法科に入学、卒業を目前にして父の死亡により退学。 1958年菊池寛賞、1960年紫綬褒章受賞。 1963年私財を投じ「野村学芸財団」を設立。
主な著書に 『銭形平次捕物控(383編)』『池田大助捕物全集(全10巻)』『磯川平助功名噺』 『バッハからシューベルト』『名曲決定版』『楽聖物語』など。

野村胡堂の本名は長一(おさかず)。 盛岡中学では先輩金田一京助、 後輩石川啄木らと交わり 俳句、短歌、小説と幅広い文芸活動を続け、その中心的存在でした。 中学卒業後、一高、東大法科に進みましたが、村長もつとめた父の死により、卒業の直前に退学。 明治45年報知新聞社に入社、以後31年間、新聞人として活躍。 昭和6年、文芸春秋社が『オール読物』の発刊にあたり、胡堂は捕物帖の執筆を依頼され、 その後27年間、『銭形平次捕物帖』だけで383話を記録。 ほかにも、『面会謝絶』『胡堂百話』などの随筆、初期の空想冒険小説や少年少女小説など、 数多くの大衆文学の名作を世に送り出し、 昭和33年、胡堂は“『銭形平次』を主題とする420数編の創作”で菊池寛賞を受賞しました。

胡堂は庶民のための心暖まる美しい人情を描いた捕物シリーズについて、 「わたしの捕物帖の特徴は、まず容易に罪人をつくらないこと、町民と土民に愛情をもったこと、 侍や通人は徹底的にやっつけたこと、 そして明るい健康的な捕物にしようと心掛けたことだろう」と述べています。 また音楽評論家「あらえびす」のペンネームで、 音楽評論家として知られ、 日本におけるクラシック音楽の普及・定着に大きな影響を与えました。 胡堂の生まれた紫波町には、7千枚の野村レコードコレクションを所蔵する野村胡堂・あらえびす記念館があり、 その足跡をたどることができます。

【関連項目】
紫波町ホームページ(http://www.town.shiwa.iwate.jp/)
町の概要の観光の中に野村胡堂記念館のページがあります




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