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女優や演出家として、また戯曲の翻訳も手がけ、舞台に映画にテレビにと活躍している長岡輝子は、
明治41年、盛岡市で父母ともに教育者の家庭に、4人目の女の子として生まれました。
東洋英和女学院卒、文化学院大中退。
女学校時代から演劇に興味を持ち、昭和3年にはパリに演劇修行で留学。
しかし父の死により昭和5年に帰国し、のちに結婚することになる金杉惇郎とテアトル・コメディを設立しました。
昭和15年文学座へ。
昭和43年、文学座を退団し、朗読を行う「長岡輝子の会」を発足しました。
昭和58年、NHKの連続テレビ小説「おしん」で加賀屋の大奥様役を好演してから、
日本中の茶の間にも広く知られるようになりました。奉公人おしんに、
自分の孫娘と同じように文字などを教え、その成長を温かく見守った、
頼もしくて貫祿十分な演技を記憶している方も多いと思います。
昭和59年、勲4等瑞宝章、放送文化賞を受章。
映画出演作は「本日休診」「にごりえ」「山の音」「キクとイサム」など。
著書に「詩暦」「日向に落ちた種子」「父(パッパ)からの贈り物」「わが町溝の口」などがあります。
輝子の朗読の中でも、宮沢賢治の詩は、東北なまりで賢治のおもしろみを生かし、 おばあちゃん言葉のリズム感と温かさを持った素晴らしいものとして知られています。 輝子は、詩人の心を詩の朗読で人々に伝えるには、詩人の生きた時代を理解し、 同じ空気を吸い、同じ言葉を使うことが大切と考えています。 宮沢賢治と輝子は同じ干支(えと)のサル年で輝子は一回り下であり、 賢治が中学生の時には幼稚園に入る頃でした。 しかも盛岡にいた身近な人達が賢治の詩に登場していたのです。 また盛岡の家にいて畑など外回りの仕事をしていた爺やは、 畑仕事のない冬の夜などに、輝子に昔からの言い伝えや自身の不思議な体験を話しました。 その中には、夜暗くなって水を汲むときは、井戸の神様を驚かさないように、 必ず井戸端で柏手を打つことや、爺やが飛脚をしていた若いころ、 山の中で狐が木の葉を使って若い女に化けるのを見た話がありました。 輝子は子供の頃、父の友人の福元のおじちゃんが、声色入りで手振り身振りおもしろく話す 「ジャックと豆の木」などを夢中になって聞きました。 輝子は、「私がいまだに子供たちに話をするのが好きなのは、 あの福元のおじちゃんから受けた感動が、いつも心に蘇えってくるからかもしれない」と言います。 これらの総てが熟成されて朗読に生かされ、伝承や昔話を元にした作品を、 現実味を持って生き生きと朗読できるのでしょう。 |
