よくある質問(Q&A集)
Q:第九十銀行(だいくじゅうぎんこう)という名前の由来は?
A:明治5年(1872)の国立銀行条例に基づいて開設された国立銀行として、90番目に設立されたことがその由来です。国立銀行とは言っても当時のアメリカにあったnational bankの直訳でしかありません。国家が設立したものではなく、民間資本の設立による銀行です。
ちなみに、第一銀行は第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行となっています。
ちなみに、第一銀行は第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行となっています。
Q:盛岡には他に重要文化財に指定されている建物はありますか?
A:近代建築物としては、岩手大学農学部旧本館と門番所、岩手銀行旧本店本館があります。
前者は賢治が通った旧盛岡高等農林学校本館で日本初の高等農林学校で、後者は当時盛岡銀行と呼ばれ、賢治の作品にも詠まれています。
前者は賢治が通った旧盛岡高等農林学校本館で日本初の高等農林学校で、後者は当時盛岡銀行と呼ばれ、賢治の作品にも詠まれています。
Q:青春館のシンボルマークやロゴタイプのデザインをした人は誰ですか?
A:盛岡市在住のデザイナー杉本吉武さんです。青春館の建物のアクセントとなっている花崗岩のアーチのM字型と盛岡の頭文字Mを、上品かつシンプルに表しています。また、館名の「もりおか啄木・賢治青春館」は、資生堂明朝風のフォントを使い、館のクラシカルなイメージが伝わるものに仕上がっています。
Q:建物の正面左側にある柳の木は、最初からここに植えてあったものでしょうか?
A:この柳は、平成14年(2004)6月5日、東京・銀座の朝日新聞社跡にある啄木の歌碑の前で、銀座の商店会から盛岡市長に寄贈された「銀座の柳二世」です。啄木は明治42年3月から没する45年4月まで、当時銀座にあった朝日新聞社の校正係として勤務しており、「春の雪 銀座の裏の三階の煉瓦造に やはらかに降る」という歌も詠んでいます。明治初期から銀座のシンボルとして親しまれてきた柳は、昭和の中ごろに街の整備に伴って移植されたものの、大半が枯死。「何とか銀座の通りを象徴する柳を再び・・」そう願った銀座金春通り会名誉会長の勝又康雄さんらがビルの屋上で枝を挿し木して、二世として蘇らせたものがこの柳です。
Q:館内で写真撮影はできますか?
A:基本的には撮影可能です。但し、1階常設展示室にある啄木と賢治の初版本を展示しているガラスケースは撮影をご遠慮いただいています。また、2階展示ホールは企画展によって異なりますので、ご来館の折にご確認をお願いします。
Q:企画展に付帯したイベントなどはありますか?
A:ギャラリートークやコンサートを開催する場合がありますので、各企画展のページを確認頂くか直接お尋ねください。