文学と彫刻のまち盛岡
石川啄木  青春のふるさと散歩

文学碑名 アクセス法 MAP位置
ふるさとの山に向ひて・・・ でんでんむし号
盛岡駅前下車
盛岡駅前広場
駅正面から約20m
1
MAP左
不来方のお城の草に・・・ でんでんむし号
岩手公園下車
盛岡市内丸
盛岡城跡公園二ノ丸
2
MAP右
新しき明日の来るを・・・ でんでんむし号
中央通二丁目下車
盛岡市大通
丸藤前
3
MAP右
盛岡の中学校の・・・ でんでんむし号
中央通一丁目下車
盛岡市中央通
岩手銀行本店横
4
MAP右
学校の図書庫の裏の・・・ でんでんむし号
医大前下車
盛岡市中央通1丁目
岩手医科大学附属
循環器医療センター前
5
MAP右
岩手山秋はふもとの・・・ 岩手県交通バス松園山岸線
愛宕町口下車
盛岡市加賀野
上の橋上流の富士見橋
6
MAP右
中津川や月に河鹿の・・・ 岩手県交通バス
下の橋町下車
盛岡市馬場町
御厩橋付近
7
MAP右
病のごと思郷のこころ・・・ 岩手県交通バス浅岸線
天満宮前下車
盛岡市天神町
天満宮境内
8
MAP右
松の風夜昼ひびきぬ・・・ 岩手県交通バス浅岸線
天満宮前下車
盛岡市天神町
天満宮境内
9
MAP右
その昔小学校の征屋根に・・・ 岩手県交通バス浅岸線
下の橋町下車
盛岡市馬場町
下の橋中学校校庭
10
MAP右
教室の窓より遁げて・・・ 岩手県交通バス浅岸線
下の橋町下車
盛岡市馬場町
下の橋中学校前
11
MAP右
己が名をほのかに呼びて・・・ 岩手県交通バス青山町線
前九年二丁目下車
盛岡市前九年
江南義塾盛岡高校裏庭
12
MAP左
茨島の松の並木の街道を・・・ 岩手県交通バス厨川中央線
厨川一丁目下車
盛岡市厨川
赤平グリーンプロット
13
MAP右
岩手山秋はふもとの・・・ 岩手県交通バス
岩山展望台下車
盛岡市新庄岩山
啄木望郷の丘
14
MAP右
汽車の窓はるかに・・・ 岩手県交通バス
岩山展望台下車
盛岡市新庄岩山
啄木望郷の丘
15
MAP右
それとなく郷里のことなど・・・他 岩手県交通バス
岩山展望台下車
盛岡市新庄岩山
岩山展望台下
(啄木詩の道)
16
MAP右
中津川や月に河鹿の・・・ でんでんむし号
内丸下車
盛岡市内丸
盛岡市役所裏庭
22
MAP右

文学と彫刻のまち盛岡
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ふるさとの山に向ひて・・・
石川啄木歌碑1
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
「杜と水の都」盛岡の駅前広場に建つこの歌は、東京朝日新聞に勤めていた時代に詠んだもので、 その郷愁を誘う詩は、多くの人に親しまれています。また、駅正面に掲げられた「もりおか」の文字は、 啄木自筆の文字を集字して使用したものです。
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不来方のお城の草に・・・
石川啄木歌碑2 街の真ん中の緑に覆われた盛岡城跡公園(岩手公園)には、
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
の歌碑(金田一京助書)が建っています。
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新しき明日の来るを・・・
石川啄木歌碑3 盛岡市のメインストリート大通二丁目に建つ「少年啄木像」の台座には、
新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど
の歌が刻まれています。この歌は、歌集『哀しき玩具』の中の一首です。 死後3ヵ月を経た明治45年6月に刊行された第二歌集で、 タイトルは「歌は悲しき玩具である」という一部から付けられました。
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盛岡の中学校の・・・
石川啄木歌碑4 中央通一丁目の岩手銀行本店横には
盛岡の中学校の
露台(バルコン)の
欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ
の歌碑が建っています。
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学校の図書庫の裏の・・・
石川啄木歌碑5 中央通一丁目の岩手医科大学附属循環器医療センターの前には、
学校の図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず
の歌碑が建っています。
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岩手山秋はふもとの・・・
石川啄木歌碑6
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる蟲を何と聴くらむ
街の真ん中を流れる中津川の上流に架る富士見橋は、 小天地発行所跡地に近く、 この橋の欄干には『小天地』の表紙絵のケシの花模様があしらわれ、 左岸の橋の親柱には、啄木の望郷歌が銅板ではめ込まれています。
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中津川や月に河鹿の・・・
石川啄木歌碑7 中津川の左岸には啄木の
中津川や
月に河鹿の啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と
と彼の父一禎(いってい)の
中津川
流れ落ち合ふ北上の
早瀬を渡る夕霞かな
の“父子の歌碑”が建てられています。
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病のごと思郷のこころ・・・
石川啄木歌碑8
病のごと
思郷のこころ湧く日なり
目にあおぞらの煙かなしも
中学時代のよき散策場所だった天満宮 近くに建つこの歌碑は、啄木の代表的な歌集『一握の砂』の中の「煙」の巻頭作品です。 初めての歌集の校正刷りの日は、長男の真一の葬儀の日でもありました。 啄木は愛児の死を悼んで、挽歌8首を追加しています。
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松の風夜昼ひびきぬ・・・
石川啄木歌碑9 天満宮境内には、 狛犬(こまいぬ)の台座がそのまま啄木の歌碑になっています。向かって右の台座には
夏木立
中の杜の石馬も
汗する日なり君をゆめみむ
が、そして左の台座には
松の風夜昼ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に
の歌が刻まれています。この歌は、彼が発行した 『小天地』に発表した「公孫樹(いちょう)」 と題する10首の中のひとつで、その後の啄木は故郷の渋民で代用教員の道を歩み始めます。 この記念すべき文芸誌『小天地』は、岩野泡鳴、金田一京助、与謝野鉄幹、正宗白鳥などの寄稿を得て好評でしたが、 経済的な行きづまりで、一号で廃刊となりました。
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その昔小学校の征屋根に・・・
石川啄木歌碑10 盛岡市内には、学校の校庭などにも啄木の歌碑が建てられています。
その昔
小学校の征屋根に我が投げし鞠
いかにかなりけむ
この碑は市立下の橋中学校の校庭にあります。
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教室の窓より遁げて・・・
石川啄木歌碑11 市立下の橋中学校校門の前には啄木の
教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝に行きしかな
啄木が晩年もっとも心を許しあい、最後をみとった友人若山牧水の
城跡の古石垣にゐもたれて
聞くともなき
波の遠音かな
これら2首が刻まれた「石川啄木・若山牧水 友情の歌碑」があります。
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己が名をほのかに呼びて・・・
石川啄木歌碑12 前九年の江南義塾盛岡高校裏庭には
己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし
の歌碑が建っています。
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茨島の松の並木の街道を・・・
石川啄木歌碑13 市内から車で約20分先の厨川には
茨島の松の並木の街道を
われと行きし少女
才をたのみき
の歌碑が建っています。
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岩手山秋はふもとの・・・
汽車の窓はるかに・・・
啄木望郷の丘 青春と情熱の詩人・石川啄木と妻節子が亡くなって80余年、 その鎮魂のために郷土の山河を望む岩山山頂「啄木望郷の丘」には「啄木望郷の像」が建立されています。 像はふるさとの姫神山に向かい、啄木が最も愛した
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる蟲を何と聴くらむ
の望郷歌の一首が刻まれています。 そばには全国的にも例をみない詩人夫妻の“夫婦歌碑”が建てられ、啄木の
汽車の窓はるかに北に故郷の
山見えくれば
襟を正すも
と、妻節子の
光淡く
こほろぎ啼きし夕より
秋の入り来とこの胸抱きぬ
の2首が刻まれています。志なかばにして、わずか20代の若さで貧しさのうちに病に冒され、 相次いで世を去った2人は、今は歌となってふるさとの山河を見つめています。
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それとなく郷里のことなど・・・他
啄木詩の道 盛岡駅から車で15分ほどの、標高343mの岩山一帯は、素晴らしい眺望が楽しめる絶好のレジャーポイントです。 真正面には岩手山の山容が広がり、天気に恵まれれば姫神山、早池峰山、奥羽山脈を一望できます。 岩山展望台のすぐ下の「啄木詩の道」は、アカマツ、ヤマザクラなどの自然豊かな林に囲まれた100mほどの小道です。 その小道には、
それとなく
郷里のことなど語り出でて
秋の夜に焼く餅のにほひかな
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
など、啄木の短歌10首が石に刻まれ、詩情を誘います。
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中津川や川に河鹿の・・・
石川啄木歌碑22 盛岡市役所裏庭付近には、
中津川や
月に河鹿の啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と
の歌碑が建てられています。
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