文学と彫刻のまち盛岡
宮沢賢治  青春のふるさと散歩

文学碑名 アクセス法 MAP位置
夜明げには・・・ 岩手県交通バス浅岸線
下の橋町下車
盛岡市大沢川原
下の橋際
1
MAP右
「かなた」と老いし・・・ でんでんむし号
岩手公園下車
盛岡市内丸
盛岡城跡公園芝生広場
2
MAP右
あゝマヂエル様・・・ でんでんむし号
材木町南口下車
盛岡市材木町
光原社中庭
3
MAP左
血のいろにゆがめる月は・・・ でんでんむし号
医大前下車
盛岡市内丸
岩手医大医学部玄関脇
4
MAP右
生徒諸君によせる・・・ 岩手県交通バス駅上田線
一高前下車
盛岡市上田
盛岡一高白亜記念館前
5
MAP左
せわしくも花散りはてし・・・ 岩手県交通バス津志田線
つどいの森下車
盛岡市湯沢
都南老人福祉センター内
6
MAP右
しろがねの雲ながれ行く・・・ 岩手県交通バス太田線
簡易保養センター前下車
盛岡市猪去
「かんぽの宿盛岡」前
7
MAP左
川と銀行木のみどり・・・ でんでんむし号
内丸下車
盛岡市内丸
テレビ岩手裏庭付近
23
MAP右

文学と彫刻のまち盛岡
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夜明げには・・・
宮沢賢治文学碑1 賢治は明治42年4月に盛岡中学校に入学し、その後、わが国初の高等農林学校として 創設された盛岡高等農林学校 で農芸化学を学びました。 平成11年に、賢治が高等農林学校3年の時、弟と下宿していた下の橋際に「ちゃぐちゃぐうまこ」 の歌碑が建立されました。歌は次の歌を加えて4首です。
夜明げには
まだ間あるのに
下のはし
ちゃんがちゃがうまこ見さ出はた人
本格的に文学に打ち込み始めたのもこの頃で、13歳から24歳(高農研究生終了) まで過ごした盛岡での約10年間は、その後の賢治の活動の土台となりました。
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「かなた」と老いし・・・
宮沢賢治文学碑2
「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲(こえ)もなし
岩手公園の中津川畔よりに建つ、 この歌碑に詠われる「タピング」一家は、明治40年に盛岡に来て、宣教のかたわら盛岡中学校で英語を教え、 夫人は盛岡幼稚園の創設者となりました。 この歌は賢治の死の1ヵ月前に当たる昭和8年8月22日の日付のある「文語詩稿・百篇」の中のひとつです。
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あゝマヂエル様・・・
石座
石座
星座
星座
音座
音座
絹座
絹座
花座
花座
詩座
詩座
宮沢賢治文学碑3
光原社中庭
盛岡駅からほど近い北上川に架る旭橋からは、四季折々の岩手山の山容が望まれます。 この橋を渡って左に曲がると「いーはとーぶアベニュー材木町」です。
この商店街の街路には、賢治とその作品にちなんだ6つのモニュメントが並び、 独特の雰囲気をかもしだしています。 それぞれのモニュメントに想いがこらされ、私たちを賢治の夢の世界に誘います。
街入口付近の、背広姿の若々しい賢治を描いた彫刻「石座」、 夜になると淡い光が点滅する銀河系をイメージした「星座」、 チェロのオブジェから賢治の作曲した『星めぐりの歌』『種山ヶ原』が聴こえてきそうな「音座」、 シルクロードへのはるかな憧れを伝える「絹座」、 賢治の設計した花壇をイメージした「花座」、 そして商店街の北の入口に休憩所をかねて設けられた「詩座」。 どのモニュメントからも、自然の小さな生命を語り、また慈しんだ賢治のメッセージが伝わってきます。

さらに、童話『烏の北斗七星』の一部を刻んだ石柱と、同じく童話『注文の多い料理店』出版の地の碑が、 材木町商店街中ほどの光原社に建っています。
あゝマヂエル様
どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝように
早くこの世界がなりますように
そのためならばわたしのからだなどは
なんべん引き裂かれてもかまひません
この石柱に刻まれた作品が書かれた大正10年、賢治は突如上京して宗教団体「国柱会」に入りますが、 妹トシの病気のため帰郷します。その年、花巻農学校の教諭となり、童話創作の最も旺盛な時期でした。
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血のいろにゆがめる月は・・・
宮沢賢治文学碑4
血のいろにゆがめる月は
今宵また桜をのぼり
患者たち廊のはづれに
凶事の兆を云へり
木がくれのあやなき闇を
声細くいゆきかへりて
熱植ゑし黒き綿羊
その姿いともあやしき
月しろは鉛糖のごと
柱列の廊をわたれば
コカインの白きかをりを
いそがしくよぎる医師あり
しかもあれ春のをとめら
なべて且つ耐えほゝゑみて
水銀の目盛を数へ
玲瓏の氷を割きぬ
盛岡市内丸の岩手医科大学医学部玄関脇に建つこの「岩手病院」の文学碑は、 同医大創立50周年を記念して建立されたものです。 賢治は以前から悪かった鼻の手術で、大正3年に岩手病院に入院しました。 その間、進学をめぐる父とのいさかいなど、気持ちは激しく動揺します。 後年、それらの体験をもとに作品化した昭和8年の「文語詩稿」の1篇です。
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生徒諸君に寄せる・・・
宮沢賢治文学碑5
生徒諸君に寄せる
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
この詩碑の建つ盛岡第一高等学校は、かつて賢治が学んだ盛岡中学校です。 生まれ育った旧家の息苦しさをひととき離れての寮生活や、同世代の友人たちとの交友は、 賢治に大きな解放感をもたらしました。在学中は付近の山々を歩き、多くの書物に親しみました。 ちなみに石川啄木は盛岡中学校の10年先輩に当たっています。
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せはしくも花散りはてし・・・
宮沢賢治文学碑6 市内の都南老人福祉センターに建つ
せはしくも花散りはてし盛岡を
めぐる山々雪はふりつゝ
の歌碑は、賢治生誕100年を記念して建立されました。
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しろがねの雲ながれ行く・・・
宮沢賢治文学碑7 盛岡簡易保険センター「かんぽの宿盛岡」には
しろがねの雲ながれ行くたそがれを
箱ケ森らは黒くたゞずむ
の歌碑が建っています。ここからは賢治が盛岡中学校入学以来、 生涯幾度となく登った岩手山が間近に見え、 童話『グスコーブドリの神話』に登場する火山は、この山から連想されたものです。
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川と銀行木のみどり・・・
宮沢賢治文学碑 明治44年建設の岩手銀行中ノ橋支店 は国の重要文化財で、賢治もこの建物を気に入っていたようです。銀行近くのテレビ岩手裏庭付近には
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるヾ
の歌碑が建っています。
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