盛岡が舞台となった文学作品

浅田次郎「壬生義士伝」

主人公は南部藩士、盛岡が舞台の時代小説

『壬生義士伝(みぶぎしでん)』は、『鉄道員(ぽっぽや)』などの作品で知られる直木賞受賞作家、 浅田次郎さんの作品。 構想20年、著者初の時代小説で、週刊文春に平成10年9月3日号から平成12年3月30日号まで連載されました。
作品は、明治維新から半世紀を経た、初の平民宰相原敬が誕生した頃に、一人の新聞記者が、 主人公の南部藩士・吉村貫一郎を知る人たちを訪ね、聞き書きをするという構成がとられています。
貫一郎を知る人たちの回想の間に、貫一郎の独白が南部方言ではさまれ、 愛してやまない故郷盛岡の情景が語られます。 浅田さんは四季に分けて盛岡に取材に来られたとのことで、綿密な考証のもと、方言や町の雰囲気など、 実際に盛岡に住んでいる人間が思わず感心してしまうほど、生き生きと描かれています。 あなたも本を片手に、主人公が「日本で一番美しい」という盛岡の街を歩いてみてはいかがでしょうか。

『壬生義士伝』 浅田次郎(2000年4月・文芸春秋刊・上下各1524円)

ストーリー

主人公吉村貫一郎は、尊王譲位に邁進すると称して南部藩を脱藩、新撰組隊士となるが、 内実は生活苦によるもので、貫一郎の願いは少しでも多くのお金を、 故郷に残してきた妻しづと子どもたちのもとへ送り届けること。 しかし、貫一郎は、鳥羽伏見の戦いの中、皮肉にもかつての幼馴染で大阪屋敷の差配である大野次郎右衛門の命で、 切腹させられることになる。 その50年後、一人の新聞記者が貫一郎を知る人たちを訪ね、 「壬生浪(みぶろ)」と呼ばれた新撰組にあってただひとり「義」 をつらぬいた知られざる貫一郎の姿を浮き彫りにしていく_。

『壬生義士伝』に出てくる主な盛岡関連項目

南部訛なんぶなまり(方言)貫一郎他の登場人物たちが使う言葉。
盛岡城・南部藩貫一郎が仕えた南部藩の歴史。
上田組町うえだくみちょう(上田通り)貫一郎が盛岡で住んでいた場所。
明義堂めいぎどう(作人館跡)南部藩の藩校。ここで貫一郎は教鞭をとった。
舟橋跡ふなばしあと盛岡の南の玄関口。
夕顔瀬橋ゆうがおせばし盛岡の北の玄関口。
上の橋かみのはし貫一郎が大野次郎右衛門とよく会った橋。
惣門そうもん各街道の関所。
岩山(啄木望郷の丘)いわやま(たくぼくぼうきょうのおか)貫一郎が教え子たちを連れてよく登った山。
石割桜いしわりざくら「南部の武士だれば石ば割って咲げ」
上田の堤(高松の池)うえだのつつみ(たかまつのいけ)妻しづが身投げをしようとした池。
報恩寺ほうおんじ死を目前にした貫一郎が幻影で見る寺。
南部曲り家なんぶまがりや妻しづの実家の造り。
盛岡八幡宮の秋祭り祭りの日の夕暮れ、貫一郎がしづに求婚。
旧盛岡高等農林学校貫一郎の息子が教授となる学校。
原 敬はら たかし盛岡出身の原が首相になった頃に取材が行われる。