テーマ別 歴史文化・芸術 2 ~見たい盛岡マップ~

22.小岩井農場

総面積3,000ha(900万坪)、飼養牛頭数は1,700頭、山林蓄積量は約296,000立方メートル。
岩手山の南麓に広がる小岩井農場は明治24年に広大な火山灰の原野に防風林の造成を行い、明治30年から本格的に植林を開始しました。

23.ござ九

1816年(文化13年)創業の商家で、地元では「ござくさん」と呼ばれています。屋号のとおり、ござと畳、わら工品や荒物を扱っています。現存する建物は江戸末期から明治まで増改築したものです。間口20間、総2階の木造建築は、豪商の面影を今に伝えます。紺屋町側の母屋と、裏側の土蔵7棟、川べりの土塀は、盛岡を代表する景観となっています。

24.御所湖

御所湖は、上流から流れ込む雫石川をせきとめてつくられた、巨大な人造湖です。湖周囲はレジャーやスポーツのメッカ。
湖上ではウインドサーフィンやボートセイリングが盛んに行われ、周辺にはプールや釣りなどのスポーツが楽しめる施設もあり、総合レジャースポットとして親しまれています。

住所:岩手郡雫石町26知和利丸谷地36-1
TEL:019-692-4321
アクセス:東北自動車道・盛岡ICより国道46号線経由、車で20分
リンク:小岩井農場
住所:盛岡市紺屋町1-31
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行
総合福祉センター入口下車
またはでんでんむし号 内丸下車
住所:岩手郡雫石町西安庭第11地割7-4
▼御所湖広域公園総合管理事務所
TEL:019-692-4855
▼つなぎ温泉観光協会
TEL:019-689-2109
アクセス:盛岡駅前バス乗り場10番線 繋温泉行 繋温泉下車
リンク:岩手県立御所湖広域公園
25.紺屋町番屋

昔ながらの望楼(ぼうろう)が目をひく番屋(ばんや)は、1913年(大正2)に盛岡消防分団として建てられました。大正年間の木造洋風事務所建築の典型といわれます。望楼へは屋根裏の螺旋階段で登っていきます。

26.材木町いーはとーぶアベニュー

材木町商店街の街路は石畳が敷かれ宮沢賢治とその作品にちなんだ6つのモニュメントが並び、独特の雰囲気をかもし出しています。この材木町のメインストリートを「いーはとーぶアベニュー」と呼んでいます。

27.十六羅漢公園

曹洞宗の宗龍寺(そうりゅうじ)内に建立された、21体の石造群で、江戸時代の盛岡藩の元禄・宝暦・天明・天保の四大飢饉の餓死者を供養するため、祇陀寺(ぎだじ)の天然和尚が発願し、領内から浄財の喜捨を募って、1837年(天保8)に起工、13年の歳月をかけて完成しました。羅漢とは、梵語のアルハン(阿羅漢)の略で、煩悩を断ち仏道を修行した人々のこと。

住所:盛岡市紺屋町4-33
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線盛岡バスセンター行
総合福祉センター入口下車
またはでんでんむし号 内丸下車
住所:盛岡市材木町
アクセス:盛岡駅前バス乗り場より
でんでんむし号 材木町南口下車
または徒歩15分
住所:盛岡市茶畑2-1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場5番線 茶畑行 松尾前下車 徒歩1分
28.「小天地」発行所跡

石川啄木が、新婚の家を出て移り住んだ加賀野磧町での生活は、明治38年7月から翌年3月に代用教員として渋民に帰るまでの9ヵ月間続き、啄木の生涯にとっては記念すべき日々でした。ここで啄木は一家の窮状を打開するために友人の援助を得て文芸誌「小天地」を発行しました。これには与謝野鉄幹、金田一京助なども寄稿しています。

29.少年啄木像

石川啄木の少年像が建つ辺りは、昔、盛岡城菜園の路地でした。中学の頃の啄木にとって、あぜ道と城跡は詩情の源泉だったようです。本田貴侶作の啄木像は、希望に胸ふくらませて厳しい北風の中に立つ少年のひたむきな姿を、あますところなく表現しています。台座には「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど」と刻まれています。

30.昭和旭蔵

十六羅漢公園のすぐ近くにある酒蔵。城壁と黒瓦の純和風の趣が、神社仏閣の多い町並みに溶け込んでいます。明治6年創業の蔵元「あさ開」の酒蔵で、昭和旭蔵は昭和63年に完成しました。
外観は昔ながらの酒蔵でも、内部は手づくりの酒蔵工程と、そのノウハウをコンピューターにプログラムする2つの酒蔵工程を合わせ持つ最新鋭の工場で、酒づくりの工程を見学できるようになっています。

住所:盛岡市加賀野1丁目
アクセス:盛岡駅前バス乗り場12番線 水道橋行
またはでんでんむし号
上の橋下車 徒歩5分
住所:盛岡市大通2丁目 丸藤前
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行
またはでんでんむし号
中央通二丁目下車 徒歩6分
住所:盛岡市大慈寺町10-34
アクセス:岩手県交通バス 茶畑線 松尾前下車 徒歩5分
リンク:(株)あさ開

31.正食普及会(旧井弥商店)

本町通から上の橋を渡ると、左側に豪壮な黒漆喰の土蔵造りの家があります。豪壮な土蔵はかつての呉服問屋跡です。明治の盛岡大火後に立てられ、壁面を漆喰で仕上げて防火上の工夫がしてあります。内部のしゃれた階段、太い梁や柱に明治、大正と栄えた豪商の名残をとどめています。

住所:盛岡市上ノ橋町1-48
アクセス:盛岡駅前バス乗り場より12番線 水道橋行
本町通一丁目下車
または でんでんむし号 上の橋下車

32.青龍水と大慈清水

その昔、大慈寺の前には大きな沼があり青龍(せいりゅう)が住んでいたとか。
祇陀寺(ぎだじ)と原敬 の墓所がある大慈寺の二つのお寺の境内から清水が湧き出で、木管を通して共同井戸の水源としました。

住所:盛岡市大慈寺町
アクセス:盛岡駅前バス乗り場13番線 矢巾営業所行
南大通二丁目下車 徒歩5分

 

 

33.清養院

清養院(せいよういん)は宮沢賢治 が盛岡中学時代に新舎監排斥運動で退寮を命じられて、下宿をしていたお寺です。 もっとも、排斥といっても内容はいかにも子供じみたもの。舎監の部屋の明かりを消したり、二階の廊下の床を踏み鳴らしたりといった、いやがらせ程度だったのですが、事態を重く見た学校側は4年生と5年生全員に退寮処分を言い渡しました。

住所:盛岡市名須川町7-1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線
松園ニュータウン行き(本町通・洞清水経由)
またはでんでんむし号
本町通一丁目下車 徒歩15分

34.大泉寺

貞女おかんの墓で知られる大泉寺(だいせんじ)は、江戸時代の文政年間に再建された独特の宝形式反り屋根の本堂になっています。宝形造りの屋根は、宝珠と軒の反りの線が流れる美しさが特徴です。反り返る軒先には力強さがあふれ、みごとな空間構成をつくり出しています。昭和54年盛岡市の保存建築物に指定されました。

35.高松の池

1598年(慶長3)盛岡城築城にあたって、北上川・中津川・雫石川の合流点で低湿地帯だった盛岡は、付近一帯の治水が重要な課題となりました。その一つが現在高松の池になっている沢の治水で、この沢が出水すると、安全な町づくりに重大な支障がありました。そこで、高松の池のあるあたりに4ヵ所の堤を設けたのが始まりといわれています。

36.啄木父子の歌碑

街の真ん中を流れる中津川の上流に架る富士見橋は「小天地」発行所跡地に近く、この橋の欄干には「小天地」の表紙絵のケシの花模様があしらわれ、左岸の橋の親柱には、石川啄木の望郷歌が銅版ではめ込まれています。また、この中津川にかかる御厩橋下流の左岸には啄木の「中津川や 月に河鹿の啼く夜なり 涼風追ひぬ夢見る人と」と、彼の父一禎(いってい)の「中津川 流れ落ち合ふ北上の 早瀬を渡る夕霞かな」の「父子の歌碑」がたてられています。

住所:盛岡市本町通一丁目14-1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線 松園ニュータウン行
大泉寺口下車 徒歩すぐ
または でんでんむし号 本町通一丁目下車 徒歩5分
住所:盛岡市高松1丁目
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線 松園営業所行
高松の池口下車 徒歩1分
住所:盛岡市馬場町御厩橋付近
アクセス:盛岡駅前バス乗場12番線 水道橋行 下の橋町下車
または盛岡駅より徒歩10分
37.啄木歌碑(盛岡駅前)

「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

「杜と水の都」盛岡の駅前広場には、望郷の歌人 石川啄木の代表的な歌の碑が建っています。この歌は、東京朝日新聞に勤めていた時代に詠んだもので、その郷愁を誘う歌は、多くの人に親しまれています。

38.啄木新婚の家

明治38年5月、処女詩集「あこがれ」を出版した石川啄木は、東京で新婚生活をもつという生活設計を変更して、市内の新山小路(現在の中央通3丁目)に帰り、年来の恋人堀合節子と結婚式を挙げました。しかし、父母と妹が同居する新婚生活は窮迫し、そこでの生活はわずか3週間。同7月に市内の加賀野磧町(現在の加賀野1丁目)に移り住みます。

39.啄木望郷の丘

高さ345メートルの岩山山頂近くが公園として整備され、「啄木望郷の丘」としても親しまれています。「啄木望郷の像」はふるさとの姫神の山にむかい、啄木がもっとも愛した「岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる蟲を何と聴くらむ」の望郷歌が刻まれています。

住所:盛岡駅前広場
アクセス:盛岡駅正面から約20メートル
住所:盛岡市中央通3-17-18
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線 松園ニュータウン行
中央通3丁目下車 徒歩6分
またはでんでんむし号 啄木新婚の家口下車 徒歩1分
または盛岡駅より徒歩12分
住所:盛岡市新庄町岩山52
アクセス:盛岡駅前バス乗り場8番線 新庄墓園行
岩山展望台下車 徒歩5分
40.立原道造詩碑

昭和初期の詩壇にすい星のように登場し、24歳で帰らぬ人となった抒情詩人・立原道造(たちはらみちぞう)。彼は昭和13年9月から10月まで盛岡の深沢紅子(ふかざわこうこ)氏生家の別荘に滞在しました。その間盛岡での叙景や心情を綴ったのが「盛岡ノート」です。

41.天満宮

文章・和歌の神、菅原道真(すがわらのみちざね)をまつる、市内天神町の天満宮(てんまんぐう)の丘は、石川啄木の中学時代は天神山と呼ばれ、啄木お気に入りの散策と読書の場所でした。盛岡天満宮の独特の顔をした狛犬(こまいぬ)さまは、いまは啄木の歌碑の上に鎮座しています。

42.新渡戸稲造銅像

中津川の下流に架かる、下の橋そばに、「願わくばわれ太平洋の橋とならん」の言葉で有名な盛岡の生んだ国際人、新渡戸稲造の銅像(作者・朝倉文夫)があります。ここは新渡戸の生誕の地で、盛岡市が没後50年を記念して、市民の浄財で建立したものです。

住所:盛岡市愛宕町 愛宕山中腹
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線
松園ニュータウン行(本町通・洞清水経由)
中央公民館前下車
住所:盛岡市新庄町5-43
アクセス:盛岡駅前バス乗り場12番線 水道橋行
天満宮前下車 徒歩7分
住所:盛岡市下の橋際
アクセス:盛岡駅前バス乗場12番線 水道橋行
下の橋町下車 徒歩2分